「今度は日本に帰ったら、共産圏から帰ってきたというので、ダブルスパイみたいなシチュエーションに囚われてしまって、『日本の公安にも狙われているのではないか』などという妄想が出てきてしまって、それが高じて、とうとうある日、両親を殴ってしまったんです。それで、その騒ぎを聞きつけた近所の人が警察に通報して、とうとう病院に収容されました、県内の。書類上では任意入院になっていたんです、不思議なことに。
その病院は、仮にY病院としますけれども、特に看護人の態度というか、患者への態度がひどいところでして、虐待に近いような行為を数々受けまして、まあ、神経性だと思われますけれども、75kgだったんですね、入院する前(の体重)が。それが退院する時には58kgまでに減ったんですね。
また、患者間でもトラブルまではなかったのですけど、悪く言えば、患者の中の不良のようなボスがいるのですけど、ボス達に目をつけられて、しょっちゅうけんかを挑発されました。それで騒ぎを起こしたら退院できなくなってしまって、自分の立場がますます悪くなりますので、自分としては、恨みがましくなるのでここでは詳しい内容は言いませんけど、ちょっと自分では地獄のような生活だったと思います。(その状況は)数か月続きました。
その時、ちょうどNHKの朝ドラがラジオ放送で聴けたのですね。その時たしか『あぐり』だったと思うのですけど。主人公のあぐりが、『私こんなのよ』、などと希望に燃えているようなことを言ってハッピーエンドのところがラジオドラマの最終回だったんです。そのほほえましい雰囲気がまるで天国のように感じて、ちょうど『杜子春(とししゅん)』、じゃなくて芥川龍之介の『蜘蛛(くも)の糸』みたいな感じで、そのラジオドラマが天国で、まるで自分が“地獄のカンダタ”みたいな感じに思いました。
その時に母親に、『このままじゃあ、自分はおしまいだから何とかしてくれ』と泣きついたら、母親が地元の保健所の職員であるA保健師さんにかけあってくれまして、そのA保健師さんの奔走が功を奏しまして、病院を転院することができました。」
地獄のカンダタ:芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」に出てくる地獄でもがき苦しんでいる男のこと。
「転院した病院は、患者間同士のトラブルもなくて、ちょっと狭苦しかったのですけども、まあ常識的な病院だと思います。
服薬自体はきついことはなかったですね。そこは、たまに院外散歩を認められまして、小遣いは預かりですけども、小遣いをもらって、自由時間には近くのコンビニに行ったりレストランに行けたりしましたので、少し羽は伸ばせたので、だんだん元気になっていきました。
3か月で退院になりました。」
「ただ体力不足だったので、体重が17kgも落ちてしまいましたから、もうひょろひょろだったんですね。これじゃいけないと思って、アルバイトするのでもその体格ではもたないからとにかく体力をつけろと、両親にも相談して考えた末に決めたのが、毎日ではないのですけど、週に5〜6回、朝9時になったら、おにぎり3個と水筒にいっぱいの水を入れて、ウォーキングをしたんです。どこに行くかは、自分の好きに決めてという感じで、1日何十kmも9時から5時まで、約4か月続きました。
まあ、辛かったですけど、周りの景色に目をやれば、その辛さというのは半減しますし、時々コンビニに行って漫画を立ち読みしたりしてリフレッシュしましたので、そういう遊び心もあったので、長続きしたかと思います。
A保健師さんのお陰で転院したのですけど、そこも(自宅から)多少遠いのでどうしようかと考えた時に、U先生の知り合いの門下生であるW先生が、自分の地元に精神科クリニックを開院したんです。その時にU先生が、『この先生なら大丈夫だ』と太鼓判を押してくれましたし、U先生の門下生だったら信用できるなあと思って、そのWクリニックに行きました。」
「はい、(それ以来)ずうっと行っています。服薬治療が中心ですけども、こういう薬はやめてほしいとか、今は辛いとか、そういう状態を言えば、その意見を反映して薬を処方してくれるのです。先生はたいへんだと思いますけど、自分としては本当に有り難かったです。」