統合失調症と向き合う

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薄羽正明さん
薄羽正明さん
(うすば まさあき)
1967年(昭和42年)の43歳(収録時)。両親と同居。大学卒業後、就職したが、23歳の時に発病。症状により退職、再就職を繰り返す。現在は、就労支援サービスを受けながら、就職活動を続けている。
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10仕事について
Q.仕事はどうされましたか

「以前勤めていた地元の食品加工工場に、また勤めることになりました。ただ、U先生の治療を受けた時は、自分の体力とか総合力では絶頂期だったと思うのですけど、その時は、その頃に比べてちょっとパワーダウンしていたので、勤務評価は前に比べて良くはなかったです。でも、5年以上続きました。

(勤務は)週に4日です。夕方の4時から8時頃までですけども、その頃には、前に話しました保健所職員のAさんのお陰で、障害年金が受給できるようになったんです。アルバイトのお金と年金のお金を足したら、かえってサラリーマン時代よりリッチな生活が送れたので、お金というのは不思議だなと思いました。

先ほど話した、『誰にも負けない資格とか実力を身につければ、大手を振っていける』などという信仰をまだ引きずっていたせいもあるのですけど、実を言うと、その食品加工工場から、採用ではないのですけど、非常勤職員の試験を、ゆくゆくは正職員になれる待遇とかの職があるから受けてみてもいいよという感じで言われたのです。その時、それに飛びついていれば、人生もまた違う展開があったかもしれないのですけど、もったいないことをしたなあと思うのですけどすごく。…断ってしまったのです。」

Q.非常勤職員の試験を断ったあとはどうされましたか

「その時、ちょうどAさんが、保健所の職員を辞めて独立して、自営業に転身なさいまして。その時にAさんから社会福祉士という資格を紹介されて、自分にその社会福祉士の魅力を語ってくださったのが、すごく自分としては、燃えてきて、『自分もなってみたいなあ』とか思ってしまって…。それで、先ほど言っていました資格への信仰が、さらに燃えてしまって、『俺も社会福祉士になりたいなあ』という気持ちになって、専門学校を5つ受けたのですけど、数撃ちゃ当たるで、1つだけ受かったのです。ほんと奇跡的なのですけど。今思えば、あんなへたくそな論文でよく受かったなあと思うのですけど。社会福祉士の専門学校は、通信だったら作文試験だけで通るので、それが自分にとってはラッキーでした。

通信ですけど、勉強がすごくたいへんで、1日4時間しか働いていないのですけど、それでも両立するのがたいへんだなあとだんだん思うようになって…。あと、学生勉強会というのを学校で主催していたのですけど、その学生勉強会のサークルの輪に入ってしまったものですから、学生勉強会の時間と勤務時間がかみ合わなくなってしまったのですね。それでどうしようかと思ったのですけど、やっぱり何が何でも現役合格するのが大事だと思って、とうとう、長年勤めたのですけど(加工会社を)辞めてしまいました。」

Q.社会福祉士の資格試験はどうなりましたか

「学校に在籍したのは1年7か月ですけども、通信制ですから足掛け2年ですね、在籍いたしまして、実習に行ったりレポートを書いたりして、最終的には卒業できて、国家試験を受けたのですけど、その時に、あることが原因で、主治医の先生とけんかをしてしまいました。

国家試験の追い込みだったのですね。その時にもう薬が強くて強くて、覚えても覚えても忘れちゃって、これでは受からないと。『どうしても受かりたいから、先生、薬を軽くしてください』と談判したのです。あまり自分が強烈に言ってしまったものですから、(先生が)多少お怒りになりまして、『ま、君は回復したと言うのだから、その、君の自信を信じよう。ただし、試験が終わったあとはしばらくの間、強い薬を飲んでもらうよ』ということで、自分の主張と人間性を尊重してくださいまして、結局、薬を軽くしていただいたせいもあって、暗記科目はなんとか(頭に)入るようになったので、なんとか通りました。

なんて言うか、(勉強中は)資格を取る執念の炎がめらめらと燃えている状態だったので、幻覚妄想は吹っ飛んでいましたね。前半戦の試験が散々だったのですけど、後半は驚異的な勢いで点数を取りまして、受かりました。

そのあと、薬は、約束だからねというわけで、もとの薬よりちょっと強い薬を飲んで1か月間養生しました。」

Q.主治医との関係は大丈夫でしたか

「つい最近まで、院長先生であるW先生だったのですけども、ご高齢で、体を壊しまして、そのご子息であるY先生に替わりました。私、若先生と呼んでいるのですけども、院長先生から若先生に替わりました。

お父様譲りで、インフォームド・コンセントはしっかりなさっていて、自分がこういう状態だということをちゃんと聞き取って、それを反映した処方をしてくださいます。ですから、つい最近まで、『自分はもう両親が死んだらおしまいなんだあ』なんて思った、“うつ”みたいな状態だったのですけど、それを素直に、『自分は、君は今どういう感じなんだ』というふうに、客観的じゃなくて主観的でいいから話しなさいと言われたのですね。ですからなるべく主観的に話したのですけど、その主観的な意見を客観的に変換して、薬を処方するということをしてくださる方でしたので、これはすごいなと思いました。」

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