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桜井なおみさん
桜井 なおみさん
(さくらい・なおみ)
キャンサーソリューションズ(株)代表取締役
1967年生まれ。乳がん体験者。元設計事務所チーフデザイナー。37歳のときに乳がんが見つかり、治療のため約8ヵ月間休職。職場復帰後、治療と仕事の両立が困難となり、2年後に退職。自らの苦い体験から、がんでも働きやすい社会の実現をめざし、がん患者の就労支援事業 CSRプロジェクトを開始。家族は夫。ブログ:Since37歳★New癌★Survivor
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4復職

2005年4月1日、約8ヵ月間の休職を経て職場に復帰する。抗がん剤治療で髪はすべて抜けていたため、帽子をかぶって出社した。

「うちはあの、服装規定とか全然ないし、デザイン事務所なので、男性の方でもわりとものすごいファッションの方が普通にいました。金髪とか、チョンマゲの人とかが普通にいるラフな会社だったので、別に(キャップを)かぶっていてもそれほどおかしくはない。ただ、(仕事で)行政の方と会うときとかは、やはり気を使いますので、そういうときは(他の人に)任せました。髪が生えるまでちょっと待ってという感じで。」

●通院と仕事に追われる日々

「(抗がん剤)治療が終わっても、ホルモン療法で月に1回は通院が必要になっていました。あと心療内科にも行き始めたので、2週間に1度くらいはお休みをとるような形にならざるをえなかったのです。そうなると、今までの仕事の密度に加えて、(通院で)欠けてくる日が出てくるので、密度をもっと高めないと仕事が終わらないのです。『あれ?これめちゃくちゃたいへんじゃん』と思いました。もっと効率的に、重点的にやらないとだめだと。そうすると、本当に風邪をひいたときに休めないのです。

有給休暇も前の手術のときに全部使ってしまっているので、復職したときには10日ぐらいしかありませんでした。そこからスタートで、外来(通院)や検査で最初の1年はあっという間に無くなってしまいました。ほとんど休みをとらずに、夏休みも全部バラしてとって通院にあてたり、検査は全部夏休みに集中させたりという工夫をして、なるべく欠勤しないようにしました。それで気がついたら、『休んでないじゃん、私』と思って。患者にとって通院は仕事なので、もう本当に休みがない状態がずっと続いてしまったのです。これは何かいけないというか、おかしいのかな(と思いました)。」

●治療通院のための休暇制度の必要性

「休暇というのはもともとヴァケーションとして使うべきじゃないですか。治療通院はもうこれは本人がするしないではなくて、ガイドラインに定められた治療方法を受けているだけですよね。それが永久に続くわけではなくて、その期間はずっと(治療通院)しなくてはいけないのだったら、それを前提とした休暇制度みたいなものがないと、これはだめだなと思いました。そうでないと、有休だけでやっていたら本当につぶれますよ。自分が患者になってみてはじめて、『がん休暇や通院休暇というものが、なぜないのだろう』とすごく思いました。」

●ある新聞記事との出会い

「仕事にずっと打ち込んでいくのもいいのですが、もし何かあったときに『仕事だけで終わっちゃうよ』というのもなんとなく芽生えてきていました。入院中に新聞を見ていたときに、私と同じ歳で乳がんになって、(その後)15年かけて大学を卒業して、資格をとって今病院で患者さんのために働いています、という方の記事が出ていました。その記事は今でもとってあるのですが、それを見て『あ、自分もこうなろう、これをやりたいな』と思って、その準備をするようになってきました。だから、職場のほうには『自分はもうそういうことをやりたいので』と伝えて、当然それで以前と同じお給料というのはおかしいので、まず『役職を降ろしてください』と自分のほうから降格願いをして、その代わり『仕事の量も減らしてください』と言って、調整しました。」

●降格はしたものの仕事量は変わらなかった

「やはり仕事の量は減るわけではないので、そこがおかしかったのですよね。本来だったら、自分は役職も降りて、年収もかなり下げたのです。下げたということは、仕事の量も下がらなくてはいけなかったのですが、下がらなかったのですね。やはりやっていくうちにそんなことを言っていられなくなるのです。仕事はあるのに、私だけ早く帰ってしまうと、『えぇっ』という感じなので。『すみません、お先に失礼します』という毎日がすごく苦痛になってきて、『もういいや、それなら(仕事を)やっちゃおう』と、どんどんどんどんなっていってしまうのです。結局、元に近いような状態にまた戻ってきてしまうのです。これはおかしい、これはおかしい、というのは常に思っていました。」