「退職してはじめてハローワークに行って失業手当をいただくようになったときに、ビデオを観させられました。それで『あ、これが日本の就業規則とか企業論理の原点なのだな』と思ったのです。週5日働くのが当たり前という感じのビデオだったのです。それで、私はもうそれは物理的に無理で、何年もというわけではないですけど、今はとりあえずそれをできないとなると、お仕事が本当に無くなってしまうのですね。そこがとてもおかしいな・・・というのはすごく感じました。」
「その間、アルバイトをしながら失業保険をもらっていて、そのときにいちばん思ったのは、(会社を辞めた)最終日のことです。名刺をもう使わないので、名刺を(職場に)置いてきたこととか、17年勤めていた間のいろんな資料やコーヒーカップを自宅に送ったこと。それを(箱に)入れているとき、すごく寂しかったですよ。何のために、あんなに泊まりまでして仕事して、今こうなっているのだろうと思うと、すごく悲しかったですね。私にとっては本当に、『あなたがんですよ』と言われたことよりも、退職のほうがすごく精神的にダメージが大きかったです。別にスキルが下がっているわけではないですよね。知的レベルが下がっているわけでもなくて、単純に体力がついていかなかったり、物理的に通院があるからということだけなのに、なぜ辞めなくてはいけないのかな・・・というのを感じながら、結局そこで辞めてしまったこと。
大学に入ったときから私はこの道に入りたくて学部を選んで、入ったので、そこからの人生を全部否定されてしまうような気持ちになりました。20年間、あなたの生き方だめだったのよ、という感覚に襲われて、その間はすごくつらかったです。何かすごく重たい鞄だったのですけど、それを置いて行ってはいけなかったのだな、捨ててはいけないものを捨てちゃったのだな、と思いました。」
「ハローワークの(仕事)検索で、いろんな条件を入れながら検索しました。やはりもう患者なので、社会保険などは手厚いほうがいいですよね。そういう環境を求めると、時給がめちゃくちゃ下がるのです。それを捨てて扶養に入れば、時給はよくなる。でも設計事務所とか設計デザイン関係という職種でヒットするのは、ものすごく少なかったのです。そういうことも幅広く考えて面接に行くと、『なぜこんなにキャリアがあるのにこっちに来るの?』『なぜ今までの資格を生かした仕事をしようと思わないのですか?』と普通に聞かれました。当たり前だと思うのですよ。そうすると『病気だから』と言うべきなのか、すごく悩みましたね。私はそのときに『新しい世界に飛び込んでみたくなったからです』と、そういことしかもう言えなかったです。」
「別のところにパートのような感じで行き始めていました。4ヵ月ぐらい行って、『これってワーキングプア?』と思ってしまいました。固定給ではないので、働かなければ働かないだけ収入が減ります。そうなると検査が入った月はほとんど収入が治療費に消えてしまったりしたので、何のために働いているのだろうと、すごく疑問に感じるようになっていました。
それと、前の仕事とはやはり“やりがい”の部分が全然違いました。自分で責任をもってやっているわけではないし、それが感じられない。では治療費を稼ぐために働いて、自分の命の時間を削って働いているのかなと思ったら、とても疑問を感じてしまったのです、それはそれで。すごくわがままなのですけど。」
「たまたまその日に教育給付金の申請をしようと思ってハローワークに行き、『ちょっとお待ちください』と言われたので、『久しぶりに検索してみようかな』と思って検索すると、自分の求めていた職場が出ていたのです。それで、『あ!』と思って慌てて連絡をすると、『それでは面接に来てください』という連絡を受けました。面接の経験もあったのですけど、今回は自分の職歴とかなり重なる職場だったので、プレゼンテーションの資料を全部、作って持って行きました。現場の写真やパンフレット、それとイラストレーションもしていましたので、『こういうことも自分はできますよ』というPRをしました。サマリーを作って持って行ってプレゼンテーションを始めたら、途中で『あ、いいです。よくわかりました』という答えでした。そのときは病気の話はもう全然出なくて、ただ『毎月1回お休みをとります』ということは言いました。それと、検査という言葉は言わなかったのですけど、『(検査が入ったときに)1日か2日休むときがあります』というのはそのときに伝えました。たぶんそのデメリットよりも、『この人を雇ったほうが、メリットがありそうだな』というのが上回ったのですね。それでもう、すぐに電話が掛かってきて『お願いします』と言われて、『ありがとうございます』ということで、すぐに決まりました。」
回ったのですね。それでもうすぐ電話が掛かってきて、『お願いします』と言われて、『あ、ありがとうございます』ということで、すぐに決まりました。」