統合失調症と向き合う

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福田一夫さん
福田一夫さん
(ふくだ かずお)
1969年(昭和44年)生まれの45歳(収録時)。大学4年生の時に発症し、3回の入院を体験する。大学卒業後、就職するが病気の再燃により退職。その後、大学院に入り勉学に勤しみ、現在は清掃会社に勤務している。勉強することが好きで、日本経営学会の一員として経営学の研究をしたり、放送大学などで聴講している。一人暮らし。収録時、襟元には日光彫りのループタイが結ばれていた。
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2精神科受診の経緯
Q.受診するきっかけになった症状を教えてください

「初めて『変だな』と思ったのは、大学4年の春というか4月15日ぐらいだったと思うのですけども。電話を取ってダイヤルをした時に、親愛していた経営学の先生の声が聞こえてきました。『変だなぁ』とは思ったのですけども、自分ではそれなりに良いことなのではないかと思ったのです。なぜかと言うと、それまでいろいろな経緯で、統計学のゼミに所属していまして、先生に近づく方法として、心理的に近づくか、もしくは物理的に近づくかいろいろな方法があると思うのですけども、そのようなことで、良い傾向なのかなと思ったのです。そうこうしているうちに、だんだんおかしくなっていくのですけども。

今思い返すと……、その当時ですね、父が、一昨年(その1年前)に、胃がんの手術をして、家に帰ってきたばかりで、夜など、まあ痛かったのだと思うのですけども、騒いでいました。子どもなので(子どもとしての)責任を感じながら、(父親の)枕元にたびたび(深夜に)起きて行っていました。当然睡眠不足になっていたと思います。

大学4年生ですから、就職活動も真っ只中でした。自宅通学だったのですけども、大学の所在地が県外で、家から最短で3時間のところにありました。それまでの3年間、朝は、ほとんど始発で(行って)終電で帰ってくる生活をやり通していました。

自分の希望として、都心に職を求めたいと思っていましたので、すべてにおいて不利。家が遠いこと、ひとりっ子で、今は家から離れられないとか、父親が病気ですから離れたくなかったとか、そういうようなことや、あとは自分に決定的な能力がやっぱりないというようなこともありまして、どんどんどんどん閉塞感に、自分で自分を追い込んでいったというようなところがあったと思います。

その矢先に、家にいて偶然だったのです。テレビドラマで、ものすごく刺激的な映像が流れてきまして…。それは何かというと、だるまさんの目に隠しカメラがついていて、家族を見張っているみたいなドラマだったのです。それを見た瞬間に、ものすごく何かもう心がえぐられるというか、もう来ちゃって…。で、こんな家にとても住んでいられない。家中に監視カメラが仕掛けられているとか、盗聴器が仕掛けられていて、すべて筒抜けになっているとか、それまでの人生がもう仕組まれて、たく(ら)まれたものであって、知らなかったのは自分だけで、脅されていただけだったのではないかとか、考えてしまいまして…。そんな自分が恥ずかしくてたまらなくなってしまいました。

そんな感じで家を飛び出してしまいまして、電車に乗って、大学に行ったのです。そこらへんで、暴れて騒いでいるようなものなのですよね。大学周辺を徘徊して、終電もなくなってしまって、家にも帰れなくなってしまって、隣町ぐらいのところまで歩いてきました。で、一晩中飲まず食わずで歩いていて、次の日に空腹で歩けなくなってしまって、座っているところを(警察に)補導されたのです。

持っていた学生証から身元が判明したのだと思います。それで、母親が身元を引き受けに来ました。半日以上留置所に留置されたのちに、解放されたというか、母親に連れられて、電車に乗ったわけです。私はその時、一種の安心感があって、『これでやっと家に帰れるんだ』という思いでした。」

Q.電車に乗ってからどうされましたか

「電車に乗ってすぐに異変を感じるのです。自分は家に帰るつもりでいたのですけれども、走り出した電車の方向が違うのです。家と正反対の方向に行ってしまったもので、これは変だなと感じ、母親まで私をどこかに連れていってしまうのか、監禁してしまうみたいな感じに思えてしまって、『すべてがもうみんな敵』みたいになってしまいましたね。そうするともう電車から一人で飛び降りてしまって、また乗った駅まで戻って来たのです。もう錯乱状態だったということです。

当然母親は、もう(午後)5時、6時とかそういう時間だったと思うので、近くにおじさんが住んでいたので、そこに一泊して帰ろうというように思っていたのだと思います。(それを)私はぜんぜん理解していなかったのですね。再び、警察のご厄介になりまして……。

おまわりさんが言ったことは、『親がここに立ち会っている以上、警察官が強制的に引き剥がして、精神(科)病院に連れていくことはできない。できないというかしたくない。親の責任で、精神(科)病院に必ず入院させてください』というふうに言い残していったと……。それでも騒いだのですけども。どうしようもなくて、おじさんも車で来てくれて。おまわりさんにも、『おじさんも来てくれているんだから』と諭されまして、ちょっとおとなしくなって、おじさんの家に厄介になりました。

次の日ですね、地元の精神(科)病院を一日中、親戚の車で回って歩いて、名前の通った精神(科)病院を、全部回って、すべて断られました。『このような状態の人、これだけ病気が重い人は、われわれの病院では受け入れられない』ということでした。

最終的に、以前、中学、高校の頃、心療内科にかかったことがありまして。そこの病院は、県の中核病院でした。そこに最後の望みで行ったのです。そこでもやはり結局は引き受けられなくて……。そこで、『ここの病院だったら引き受けてくれるだろう』ということで紹介を受けて(別の病院に)行って、そしてやっと入院させてもらったという感じです。(自宅から)車で行くと2…、1時間半ぐらいはかかりますね。」

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