「結果的に受けられなかったのです。まだなんて言うか、かなりおかしな状態でいて…。万感の思いというほどでもないですけども、その試験日を病室のベッドの上で送ってしまいました。」
「退院したのは、8月20日です。5月20日に入院しましたので丸々3か月が経ってしまいました。で、2学期にこの先生の講義で会いましたところ、先生がものすごく喜んでくれまして、涙ながらに講義をしてくれました。
講義が終わって、先生と講義室を出てきて、自分達が先に行ってしまったので、先生が後ろから、『お昼でも一緒にしませんか』と言ったのですけども、私は聞こえたのですけども、友人について、先生を見ながら歩いて行ってしまったのです。そして、自分が見た時ですね、先生が廊下の柱の影に隠れて、ハンカチを取り出しているのですよ。その時の先生の涙は、いまだに忘れられないです。」
「留年もしないで卒業してきました。これも奇跡的なことです、本当に。本来は卒業などできないような状況で、『いろんな先生に頭を下げて頼んできなさい』なんて、親戚のおじさんとかが言ったのですけども、自分では、結構自信があって、ぴったり卒業単位で卒業したのです。
はっきり言ってゼミの先生に導いてもらったのだと思います。で、当然ゼミの仲間とか友人とか、本当に素晴らしい仲間で、そういった人達のお陰で、卒業を迎えたと思っています。特に、ゼミの先生が私に教えてくれたことは、何事も、ぐしゃぐしゃにするのではなくて、一つ一つ分けて考えて、一つ一つ真摯に向き合って対応していかなければならないということを、言葉ではなくて、身をもって示してくれて教えてくれたので、とても素晴らしいことを教えてもらったと思っています。この教えられた生き方というのは、今、自分の人生の道標というか、指針にすらなっているものです。」
「大学を卒業しまして、当然就職できていません。高校の時は地元の郵便局のアルバイトに行っていましたので、(郵便局から)電話がかかってきて、『福田さん、就職は、決まったのですか』と聞かれました。『決まっていません』と言ったら、ちょうど郵便局で内務の仕事があるから、アルバイトに来てくれと誘われまして、4月1日から行ったのです。
アルバイトというのはだいたい予算の関係で、10月ぐらいまでだったと思います。それで打ち切りになってしまいました。
で、ぶらぶらしているわけですよね。その間に、郵便局の当時の管理者の方が考えてくれて、『郵便局に入ったらいいじゃないですか、入りましょう』みたいな感じで試験の手続きをしてくれたのです。当時、自分としてははっきり言って郵便局に入るつもりはなかったのです。たまたま仕事がないしどうしようもないので、じゃあという感じでそれ(試験)を受けました。なぜか受かってしまったのですね。」