統合失調症と向き合う

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福田一夫さん
福田一夫さん
(ふくだ かずお)
1969年(昭和44年)生まれの45歳(収録時)。大学4年生の時に発症し、3回の入院を体験する。大学卒業後、就職するが病気の再燃により退職。その後、大学院に入り勉学に勤しみ、現在は清掃会社に勤務している。勉強することが好きで、日本経営学会の一員として経営学の研究をしたり、放送大学などで聴講している。一人暮らし。収録時、襟元には日光彫りのループタイが結ばれていた。
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9郵便局での仕事
Q.郵便局ではあなたの病気のことを知っていたのでしょうか

「当然、地元の郵便局ですから。4月1日採用で、その前の年の10月までアルバイトに行っていて、その前の4月1日からアルバイトに行ったと言いましたよね。その前とぜんぜん違うわけですよ。呼んでも答えないとか、ボーッとしていて分からないとか…。退職の時ですけども、『当然(病気のことは)分かっていましたよ』と言われましたね、郵便局の先輩に。だからその時に、『ああ、カズちゃんにはカズちゃんなりの事情があったんだねぇ』みたいな感じで言われましたね。

(普通採用ですか?)そうです。郵政省に出す書類はすべて病院の先生に書いてもらって提出しているので、郵政省の本省自体は分かっているはずです。(給料の差別は)まったくありません。だから当然仕事もまったく同じです。障害者だから、ちょっと軽減します(ということは)、全然ありません。」

Q.郵便局には何年勤務されたのですか

「その後、郵政に14年間在職しました。実際に働いたのは、郵便配達をしたのは約10年です。残りの4年数か月は、休職ですね。

はっきりいって、高校、大学、大学卒業後のアルバイトを含めて、この郵政という職場に20年以上、食べさしていただきました。この間、本採用になって、集合研修で自動二輪の免許を取らせていただいて、仕事ができたということです。その自動二輪の免許があったからこそ、まあ、退職した年に取ったのですけども、今は普通乗用車の件(免許)もあって、今の生活ができているのだと思っています。ものすごく感謝しております。

で、まったく仕事ができなかったわけで、そういう自分を辛抱強く育ててくれたのも、郵政省の職員であったり、郵政職へのレールを敷いてくれたのは、先ほど申したように当時の管理者であって、今もつき合いのある郵便局の先輩方であったということは事実です。この方達がいなかったならば、私が社会に出て、ここまで来られたかというと、出口がなかったというか、最初からアルバイトの生活で終わっていたのだと思います。」

Q.復職はされたのでしょうか

「休職中なのですけども、ありがたいことに、『福田一夫を俺が守るんだ、馬鹿と言われようが、たとえ処分されてもいいんだ。どんなことがあっても守ってやるから、俺を信じて出て来い』という先輩がいたのですよ、本当に。当時毎日家にいて、引きこもりみたいなものなのですね。すると、その先輩方が、何人かで集まって来て、温泉街に連れていってくれて、で、泊まるだけですよね。そして、気晴らしさせてくれて、その席でそういうふうに励ましてくれるのです。

自分自身としても復職したくてしたくてしょうがなかったから、復職したのです。でも、やはり、職はないのですよね、復職しても。当然、めまいとかふらつきとかがいっぱいあって、バイクにも乗れないし。復職する時に診断書にそういうことが書かされます。当然バイクも乗ってはいけないとかなんとかそういう診断書で、短時間勤務とか出ていますよね。それで復職すると、たしかに短時間勤務ではあるのですけども、どうしようもないのですよね、やる仕事がなくて。いる場所もないし……。

で、転勤していたりして知っている人もいないし。言ってくれた先輩も、当時その時、夏休みでいなかったのですよ。そうするともうほんとに、ホコリを雑巾で拭くとか、もしくは天井をモップで拭きなさいとか……。トイレも掃除するのですけども、郵便局にちゃんと清掃の人は雇われているわけですから、その人とかち合ってしまって、そういう仕事もなくなってしまうわけですよ。

周りすべての人が、『この人はどういう仕事をしてきたんだろう、するんだろう』みたいな感じで、色眼鏡で見ていますから。全然知らない人が、じろっと見て黙って去っていくのですよ。で、これが1時間おきぐらいに来るのですよね。きついです、はっきり言ってね。

で、診断書の関係で半年間とかそういう勤務と書いてあるのですね。でも半年経っても、またバイクに乗れるという保障はないわけですから、『いやぁ、これはもうだめだなぁ、これはこれだけ続けていたら、再発しちゃうな』という感じで辞めてしまったのですね。

それだけ言ってくれる先輩がいるのに、その先輩の思いにも応えられなかったというのは、ものすごく恥ずかしいことだし、自分にやっぱり根性が無いのだなぁということで、そこら辺のところは今も悔やまれるところですね。」

Q.病気を抱えながらの就労をどのように考えましたか

「約10年間、郵便を配達したのですけども、この中で、やっぱり精神障害者が仕事をするということの意味と意義ということを、常々考えました。そういうことを考えていく続きで、放送大学の修士課程に、まだ仕事しているうちに入ったのですね。措置入院を経験して、修士号が取れるコースに入りなおしまして、現在、博士号を目指しています。

休職中に、措置入院もしているのですから、このような私に、『まじめに療養しているのか』みたいな話が持ち上がってもおかしくないのですね。それにもかかわらず、措置入院であることも認めてくれたし、措置入院後に、自分では、頭のリハビリになるということもつけ加えて、郵政省にもお願いして、また大学で勉強することも許してもらって、(結局)退職してしまったということは、本当に申し訳なかったと思っています。」

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