「いちばん感じたのは、措置入院、退院直後ですね。でもだんだんそのうちに慣れてきまして、自分から今度は、気違いという表現は使いませんけど、『精神障害者なんです』と名乗るようになりました、初対面の人にね。そうすると、迷いながらちょっと瞬間に変な顔をするのですよね。だけど、その顔が出た瞬間に今度は切り返すわけですよ。『何か変ですか?』と言うと、もうはっきり言ってそれに対して『変です』と答える人は誰もいなくて、『分かりました』で終わりになってしまうのです。で、そうなってしまうともうこっちのペースで、そのあとはぜんぜん分け隔てなく、偏見もなくつき合ってもらう(こと)が始まるのです。
まあ、これが、普通の人に、すべての人ができるかというと、できないと思うのですけども。私の場合は、郵便局で毎日配達していて、要するに、市民の顔なじみです。それが突然ピタッと配達に来なくなって、見かけたと思ったらパトカーに乗って、連れられて、強制入院になってしまったのだから、みんな知っているわけ。周知の事実だから逃げられなかったのです。逃げられなかったから、自分で認められたというのが事実なので、誰にでもできることではないと思うのですけども。それはいちばん困りましたね、ほんと。」
「措置入院直後に、精神障害者として生きるということを改めて決意しまして。そして、今後何があってもどんなことがあってもすべて甘んじて受け入れるという覚悟をしました。そういう覚悟をしていく中で、やはり精神障害者として生きるならば、精神障害者手帳は当たり前だということで、申請しまして、精神障害者2級の認定を受けました。
その当時、郵便局も、仕事も不安定でというか、もう限界でしたので、当然、郵便局を辞めてしまったら、その後就職というのは難しいだろうというのは想定されていましたから、主治医に相談しました、障害年金について。結果的には障害年金受給ということになりました。国民年金の基礎です。2級です。現在も続いています。
(清掃会社は)パートだから、当然、厚生年金もないし、なんの保障もないのです。パートだから『明日から来なくていいよ』と言われたらそれまでになってしまう。不安定雇用で。正社員は、難しいですね。年齢も年齢ですし仕方ないですね。
(支援センターには)一応、市には利用登録はしていますけども、もう7〜8年顔(を)出していないですね。」