「入院は8日ぐらいしました。非常に短いです。日本では考えられないですね。」
「日本への帰国を決めたのは手術直後で、進行がんというのがわかってからです。担当医の言葉がきっかけになりました。担当医はイギリス出身の人で、私の友達が聞いてくれたんです。『あなたが彼女の立場だったらどうする?オーストラリアに留まるか、イギリスに帰るか』と聞いたら、『僕は絶対にイギリスに帰る』と言ったんです。『家族に会いたい』と。そのときに自分の状況がどのぐらい悪いかということもわかりました。それでもう決めたんです、『ああ、日本に帰んなきゃ』と。
その友達というのは、昔のホームステイ先のホストファミリーのママで、彼女は15年前に乳がんをやっているのです。だから私は自分ががんとわかったとき、すぐ彼女に電話しました。彼女はケアンズにいたんですけど、もう次の日には飛行機に乗って来てくれて、それから10日間ぐらいずっと一緒にいてくれました。彼女自身も乳がんをやっているので、よくわかるんですね。」
「手術して5日目ぐらいで友達が遊びに来てくれて、外出許可が出たのでお茶を飲みに行きました。それは病院側も、私がこれから生きてくうえで、『なるべく早く元に戻って、社会で生活しているということを自覚させる』ために外出許可を出したのだと思うのです。いつも行っていたすごく好きなカフェに車で連れていってもらって、ホットチョコレートを飲んだんですね。
術後5日で外に出て、腕にカテーテルと、手首に病院の入院者バンドがついている状態で友達がお茶に連れていってくれたのは、本当にありがたかったです。まだお腹にホチキスがついている状態でぼろぼろだったんですけど、社会の普通の光景を見て、『あぁ、こういうことができるんだ』と思ったんですよ。『別にがんだからって一生入院して病院にいるわけじゃない。ずっと寝ているわけじゃない。友達とお茶に行くこともできる』とそのときにうっすらと思ったんですね。」
「大丈夫でした。私も友達に言ったら『誰もそんなの見てないし、結構いるわよ』と言われて、『そうね』なんて言って。
ただ、そのときはぼーっとしてるのであんまり覚えていないんですよ。なので、そういう経験でいきなり世界がひっくり返ってよくなったかというとそうではなくて、今になってみれば『あれがよかったんだ』と思いますけど、そのときはわからないですね。
そのすぐに会いに来てくれた友達とは10日間一緒にいたのですが、彼女がいつも外に連れ出してくれました。私は退院してまだ10日ぐらいでしたが、いつも彼女と一緒にご飯を食べに行って、歩いて、ご飯を食べに行って・・・とそれを1週間ずっとやっていた。それがすごくよかった、というのは彼女が『がんだからって病院にずっといるわけじゃない。普通のこともできる。普通に外出もできるし、おいしいご飯も食べられる』と教えてくれたんです。それはすごくありがたかった。
考えたら、すごくいいスタートでした。人って結局、いいときも悪いときもありますよね。健康なときもあれば病気のときもあるということを(オーストラリアは)受け入れている文化なのかなと思います。すごくオープンに話すので、気負うことなく自然に、助けるという気持ちもなく、当たり前だからという気持ちでやっているんです。」