「入院中に、私自身『精神的ダメージがすごい』とわかったので、(看護師に言って)病院のソーシャルワーカーを紹介してもらいました。そうしたらその人とは合わなかったんです。彼女は“がんと診断された人のケア”は専門分野ではなかったので、『これはだめだ』と思いました。そこでキャンサーケア・コーディネーターに聞くと、『精神腫瘍科の先生がいるから』ということで、その先生と3回ぐらい会いました。もちろん全部ただで診てくれました。」
「乳がんを体験したその友人にも薦められたので、病院とは別に、オーストラリアがん評議会(Cancer Council Australia)という機関に『カウンセリングを受けたい』と連絡をして、カウンセリングのサービスを頼みました。
病院の精神腫瘍科の先生にも会っていたけれども、がん評議会にお願いした専門カウンセラーとは、1回1時間のカウンセリングを週2回、それを3〜4週間受けたので、たぶん8回ぐらい。手術したあとのメンタル面のケアは、本当に全体の半分以上でした。
がん評議会に電話すると、まず『どの辺に住んでいるか』と聞かれて、近くに住んでいるカウンセラーを紹介してくれるんです。料金は、心理学者に会うと1日1回200ドルかかるのですが、彼の場合、がん評議会が補助するので、『1時間20ドルでいい』と言われました。20ドルは安い。ランチが10ドルぐらいなので、ランチ2回分ぐらいと考えたら非常に安いですよね。そのカウンセリングを8回ぐらい受けて、日本に帰って来てからも、個別のクライアントとして、少し値段は上がったんですけど、同じカウンセラーにたまに1時間ぐらいスカイプでカウンセリングをしてもらっています。」
「たぶん、彼は“傾聴”をしてくれているんだと思います。ほとんど聞いている。もちろんアドバイスはくれるんですけども、私が一方的に話して、彼が聞いてくれている。
アドバイスとして覚えているのは、いちばんはじめに会ったときに、私が日本に帰るとわかっていたので、『日本に帰ったあとどう過ごせばよいか』をアドバイスしてくれました。まず『ベッドルームをちゃんときれいにデコレーションを変えて、楽しく過ごせる寝室にしなさい』と言われたんですね。次に『花を種から育てて、花を育てなさい』と。非常にいいことですよね。あとは『鳥を飼いなさい』と言われました。犬とか猫ってたいへんですよね。『鳥は結構楽だし、自分に従順だから癒せるよ』と言われて、その3つはよく覚えています。非常に的を得た、さすがのアドバイスだなと今思いますけど。
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でも実際、私は何にもやらなかった、というか両親がもう鳥を飼っていたので、特にしなかったんですけど、いいですよ、ペットがいると。病気になるとなごみますね。
やっぱり『愛情を注ぐことがすごく重要だ』と言われて。だから『花を種から育てなさい』というのも、目で見られますよね。愛情を注ぐことで何かが変化して、花が咲くってすごいですよね。何か愛情を注ぐものをもつ、生きるうえでの目的意識を何か形に実現できるということで、そう言われたんだと思います。」
「たぶん、具合が悪いときが多いと思うから、寝室というのはかなり時間を過ごすので。あと視覚はすごく重要なんですよね。目が覚めたときにぼろぼろの部屋にいるよりは、きれいな部屋にいたほうがいいというのもあったと思います。」
「そのときのカウンセリングは『日本に帰ってどういう心構えで治療を受けていくか』というものでした。特に彼がいちばん心配したのは、私がフルタイムで仕事をしていて、結婚していなかったので、仕事が中心、友達が中心の社会・生活だったのが、10年経って日本に帰る、両親と暮らすことになる。もう10年いないと私も考え方が日本だとかなり浮いてしまっているので、すごく不安要素が多かったんですね。カウンセラーには『いかに生活のアジャストメント(調節)をするかがキーだから』と言われました。特に私の場合はがんということがわかっただけではなく、生活の場所が変わるし生活も変わるし、全てが変わってしまうから、とにかくその『調節をいかにうまくやってくか』に的を絞ってのカウンセリングでした。
日本では精神的なサポートが少ないということははじめからわかっていたので、術後の1ヵ月をそういうプロの方にちゃんと聞いていただいて、精神的な面ではすごく早くいいスタートが切れたなと思っています。」
「非常に不安でしたね。ただそのカウンセラーが『スカイプやっていいよ』と言うから、それが望みでした。あとはインターネットがあるので、メールやスカイプで友達と話せることもわかっていたし。自分としてはそのはじめの1ヵ月をすごくいい状態で過ごして、メンタルなサポートが本当に必要だったのでできる限り全部かき集めて、『できることはやった』という気持ちはありました。ただ、不安は不安でした。」